無題小説 その2


「それじゃあ、今日はこの辺で」
「ご苦労様。これから彼氏さんと会うんだっけ?」
「はい、すみません、無理言っちゃって」
「謝る様な事じゃないよ。楽しんできておいで」
「はい、有難うございます」
「僕が後片付けはしておくから」
「そうですか。店長も、お疲れ様です」
「まぁ、明日も早いけどよろしく」
「はい、じゃあ、すみません。失礼します」
こうして僕は一人になる。
僕の名前は金森達(かなもり たつ)と言う。今年で、そう、30になる。
此処に小さな店を開いて、毎日仕事の日々。それなりに苦心したし、それなりに忙しい。
ただ全く人生を楽しめていないと言えるほど、僕はそこまで不幸な暮らしをしていなかった。残念ながら。
2年前に建てた小さな店はそこそこ繁盛しているし、平均とか基準みたいな、何処かで決まった条件に適った悪くない生活もしている。
それはまぁ、お金持ちやら富豪とかっていう、お金を僕の桁外れに持っている人たちから見れば、こんな生活で満足しているとは、なんて笑われてしまうかもしれないけど。
それでも僕の周りを見る限り、僕はまだ恵まれている方なんじゃないか――それが例えどんぐりの背比べであってもだ――と思う。
しかし、だ。
最近、良く思うことがある。
これが自分の人生かと。
これが望んでいた道なのか、と。
昔は、もっと違う未来を夢見ていたような…。
昔、どんな事を自分が思っていたのか、思い出そうとするけれど、それが難しい。
まず、思い出す事で込み上げて来る懐かしさが邪魔をする。郷愁が、思い出が、どっとあふれ出て心を曇らせる。
そして、いつでもどんなときでも『思い出』と言うのは無駄に、本当に無駄に、綺麗に輝きすぎているのだ。僕は、自分が思っている以上に過去の出来事を歪曲して美化している。それを大切な宝物のように飾っておいて、時々そっと取り出して楽しんでいるのだ。
そんな感情に流されたように、こう思う。
あの頃に帰れたら。
自分の人生をもしやり直せたとしたら。
考えがそこまで行くと、自分の馬鹿馬鹿しさにため息が出る。
そんな事が出来たら、誰も苦労して今を生きてなんかいないんだ。
考えている暇があったら、今は早く仕事を終わらせて家に帰ろう。
そう思って、僕は残った仕事を片付けにかかった。